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2008年9月

2008年9月29日 (月)

退職金はいずれなくなる!?

前回の続きになりますが、退職金の存在意義はもはや相当低くなっているのではないかと思います。あるとすれば、既存労働者の「既得権」として。

労働者の既得権は法的にかなり強力なので、これを一朝一夕に廃止することはできません。しかし、時間をかければ新規採用者からは廃止できるので、いずれ何十年後かにはなくなる可能性はあるわけです。

前回にも書きましたが、その成り立ちを考えると、当初考えられた退職金というのはもはや存在することは困難で、形を変えることで、例えば「確定拠出年金」といった公的年金の補助としての存在しかないと思います。これを「退職金」と呼ぶには抵抗感を感じる人は多いのではないでしょうか。

こうした「退職金の行く末」を見ることで、世の中をもう一度見てみると、「時価評価」というキーワードが思い浮かびます。背景にあるのは世界基準である「時価会計」の浸透。つまり、現在価値がどうかということが重要なのです。

過去の功績とか関係なく、将来は現在に置き直して、時価価値で評価することが企業経営には要求されているのです。そのためには将来の不安は取り除かなければなりません。

このことはすべての分野において浸透しそうです。人事評価も過去の功績より、現在どう評価するか、先々どのように育成するかが重要です。これまでは、企業人生を通じて評価されたので、山谷あっても平均されて格差も出ませんでした。しかし、これからは自助努力を怠るととたんに急降下です。人の評価も時価なのです。(個人的には賃金は期待料と考えています。)

昨今の企業不祥事と時価評価も相関は強いのでは。大手の老舗も時価評価には勝てなかったのです。

この流れの中では、やはり「永年働いてくれてご苦労さん」式の退職金は縮小の方向なのです。

2008年9月12日 (金)

確定拠出年金は退職金か?

確定拠出年金は退職金と言っていいのかどうか。この問題は、退職金の定義によると思います。

確定拠出年金は60歳以降に支給されることが原則です。つまり、定年退職後の生活保障の一部なのです。企業が退職金を「老後の生活保障」と定義した場合は確定拠出年金はズバリ「退職金」と言えるでしょう。

しかし、退職金の目的を「賃金の後払い」、「ご苦労さん代」、「功労報償」などとしていると、確定拠出年金を退職金と呼ぶにはちょっとズレを感じます。

そもそも、退職金はどうして発生してきたのでしょうか。戦後、特に製造業が発展するためにどうしても必要なのは人と資金です。農業に従事している人が多く、農閑期に工業に就く程度の時代、企業は人を長く確保するため、「退職金」を作って、「長く働いてくれたら、これだけ出すよ」と。しかも、これは賃金の後払いになるため、資金のプールにも貢献しました。その資金を設備投資にまわし、供給力を向上させ、世界中に日本製品を行き渡らせました。これが高度成長です。

そうした過程を見ると、ただ単純に退職金を確定拠出年金に置き換えることには無理があるように思います。

適格退職年金の廃止が近づくにしたがって、その移行先として確定拠出年金を候補にあげている会社は結構あると思います。よく検討した上での決断ならいいですが、保険会社の提案のままとか、よそがやっているからとかだとすると大変なボタンの掛け違いかもしれません。

適格退職年金に加入したときのことを思い出してください。保険会社のすすめるままに加入して大変な目にあったのではないですか。

ここはひとつ、退職金が当社に必要なのかどうか、ここから議論をする必要がありそうです。

2008年9月 8日 (月)

誤字脱字

昔、格上の人に自分のレポートを添削してもらった際に、当然内容についての指摘を期待していたのですが、誤字脱字の指摘だけに終わっていました。

非常に意外というか、がっかりというか、もっと辛口の指摘を期待していただけに拍子抜けしてしまいました。その人曰く、「書いてある内容は間違っていないし、特に指摘することはありません」と。

真相はどうなのか今となってはわかりませんが、「誤字脱字があるようでは、目を通すにも値しない」ということではなかったのではないかと思っています。読んでいただくわけですから、それくらいの注意義務は当然だったのでしょう。

と同時に、「わかりやすいところで物事は判断される」ということも教訓として得ました。いくら内容が良くても誤字脱字が多くては評価されないでしょう。人にたとえると、「能力が高くても、挨拶ができない人、身だしなみの悪い人は評価されない」ということです。

日常では、メール、ファイル送信など手軽な分だけ様々なやり取りをするのですが、これらは言葉と違って訂正がすぐにできません。メールなど多少の誤字脱字は許されそうですが、相手によっては不快感を与えてしまう可能性は大きいと言えるでしょう。

誤字脱字の多くは「見直し作業」をすることで解決します。これをやらないのはその人の怠慢であり、その人の仕事の質が推測できます。

「見直し作業」・・・これで誤字脱字は九分九厘なくせると思います。

2008年9月 3日 (水)

習熟曲線が活かされない

習熟曲線が活かされない場合とは、いくら経験しても失敗ばかりしているケースです。

一般的に製造業では、新規生産においては良品が生産される歩留まりは非常に低く、生産量が累積してくると、次第に改善やオペレーターの習熟度が増し、ある時点で加速度的に歩留まりが向上します。そして、生産量が限界に近づいてくると、歩留まりの向上はそれほどでなくなります。カーブはS字を描くことになります。

これが組織によっては、学習経験がまったく活かされていない。ここでもコミュニケーションの悪さが主たる原因と思われます。情報がフィードバックされない、レビューする風土がない、議論をしない等等。

こうした組織では、小手先の改善やお題目だけの改善テーマを掲げても100%改善は不可能です。断言します。「習熟曲線のとおりに歩留まりが向上しない真の要因」・・・真犯人を見つけない限り改善はあり得ません。

特に製品寿命が短くなる昨今、ゆっくりと習熟曲線を描いていては、歩留まりが向上したときには既に製品寿命が尽きているかもしれません。まして、習熟曲線が描けないようではマーケットに参加することすらできません。

このことは個人でも同様。習熟曲線の上位にすばやく位置できる人は、当然習得が早い。しかも、習熟曲線の形状から、あるラインを超えるとそんなに量をこなさなくても一定の知識レベルを保てるので、幅広く知識も得ることができます。そんな習熟曲線を何本も持っている人は、どんなマーケットでも生きていくことができるでしょう。

「なぜ繰り返し失敗してしまうか」、「なぜ向上しないか」・・・習熟曲線が思い通り描けないのは、やはり客観的な欠陥があると推測できます。そのことに早く気づくかどうかも「気づきの習熟曲線」上のことなのかもしません。

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