2012年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

2012年1月20日 (金)

人材育成の前に・・・

 人材育成は多くの組織において重要課題なのですが、成功しているケースにはなかなかお目にかかれないと思います。成功しているケースを目にすることもあるのでずが、それは人材育成制度がいいのではなく、「本人の素養がいいから」と思える節も多々あります。多くの場合、失敗かどうか確認のしようがないので、実態がよくわからないのが実情ではないでしょうか。

 ビジネスシーンを目の当たりにする中、人材は次のようにグループ分けできるのではないかと思います。
 ①「言われなくてもできる人」
 ②「言われてできる人」
   このグループはさらに
   ②-1 「言われた以上にできる人」
   ②-2 「言われたことしかできない人」
 ③「言われてもできない人」
どうでしょうか。部下を持ったことのある人なら、即座に納得できる分類ではないでしょうか。

 組織において問題となるのは、当然「②-2」と「③」(消極的グループ)に属する人たちです。なんとか能力を底上げしようとあれこれ指導、教育するのですが、なかなか満足できるレベルまでは到底到達できません。

 「正法眼蔵随聞記」(道元)の一節に「柔和の言を以ていさめすすむとも、随ふべくは随ふべきなり」とあります。これは「上の者が弟子の間違いを正して戒める際に大声で怒鳴るべきではない、穏やかな言葉で改めさせても従うものは従う」と言っています。荒々しい言葉で人をしかりつけることを禁止している趣旨なのですが、背景にある思想は「どんな言い方をしようが理解できる人はすぐに理解できる、理解できない人はいつまでも理解できない」ではないか思います。

 とすると、消極的グループに属する人たちに「①」や「②-1」(積極的グループ)に属する人材育成を適用しても効果はゼロに等しいのではないでしょうか。こうした人材の選別なしに、指導、教育を画一的にやってしまうと思わぬサンクコスト(埋没費用)の発生となってしまうのです。

 サンクコストを避けるための方策は、「適材適所」と「適正処遇」でしょう。
「適材適所」は古くから言われていることですが、これが非常に難しい。しかし、時間がかかっても人材をきちんと観察すれば、それなりの回答は出てくるものです。消極的グループに属する人に積極的グループに属する人の仕事を遂行させるのは不可能なのです。

 「適正処遇」は「仕事評価と能力評価による処遇」でしょう。生活保障を考慮した賃金制度を否定はしませんが、あるレベルからは積極的グループと消極的グループとの間には評価に何十倍、何百倍の差がでるわけですから処遇に差が出て当然です。(これを勝ち組、負け組といって非難する人もいますが、今までは負け組が不当に底上げされていたのでは・・・。)
「適材適所」と「適正処遇」のミスマッチは組織の疲弊、非効率を生み出すので要注意です。

 組織は人材育成の前に、こうした選別を認識する必要があります。特に中小企業では人数が少ないので、全員一律の人材育成を適用してしまいがちですが、大半が消極的グループの場合はなんの効果も得られない可能性が大です。人材の入れ替えも考えなければなりません。

 ブランドの世界が個別マーケティングにシフトするように、人材育成も個別化で対応しなければならない環境となりつつあるのでは・・・。

2011年10月 4日 (火)

リスクヘッジはビジネスパーソンを成長させる

リスクテイクとリスクヘッジは相反しそうなものですが、実は正の相関があるのではないかと思うのです。

大きなリスクをとればとるほど、相応のリスクヘッジを考える。例えば、「100のリスクをとるなら、80のリスクヘッジを考えて、リスクは20とする。200のリスクをとるなら、160のリスクヘッジを考えて、リスクは40とする。」ということです。一見、大きなリスクをとる人は無謀と思われがちですが、実は相応のリスクヘッジも考えていて、失敗しても意外と被害は小さい。(リスクヘッジを考えない単なるばくち打ち的な人は別です。)

このことは、ビジネスパーソンの学習能力に大きな影響を与えます。先の例でいうと、20のリスクをとるのに最初から20のリスクしかとらないビジネスパーソンと100のリスクをとって80のリスクヘッジを考えるビジネスパーソンとでは、どちらが学習の機会が多いかといえば、一目瞭然、後者です。(ちょっと強引ですが数値化すると、後者は100のリスクで100学習したとすると、ヘッジでも80学習して合計180学習しているのに対して、前者は20しか学習してない。その差は9倍!!)

実際の仕事の流れでいうと、

①ある仕事を与えられた。

②言われたことだけ正確にやれば、リスクは最小限。

③しかし、その仕事を自分なりに考えて、より相手のニーズを満たそうとする。(リスクテイクしよう)

④それは言われたこと以上の仕事になる。

⑤それには未経験のこともあり、リスクを伴う。(リスクヘッジが必要だ)

⑥それをリスクヘッジするために手間を掛けてあれこれ考えたり、調べたりして学習の機会を広げる(こういうとき、自分の今までの経験だけで乗り越えようとする人は単なるばくち打ち)。

⑦言われたこと以上の仕事は結果はどうあれ、本人の学習能力を向上させたことは間違いない。

⑧次回はさらなるベースアップの上で仕事ができる。

これを日々の仕事で繰り返していたら、その差ははかりしれないでしょう。限られた時間で、ビジネスパーソンの成長に差が出てしまうのは、こんなところにも原因があるのではないかと思うのです。

リモージュ

2011年7月15日 (金)

協調性の実際

人事評価において、「協調性」は「自分の責任を果たした上で、自発的に協調行動ができるかどうかを評価する」と一般的に理解されていると思います。「自発的に」という点がポイントで、上司から指示があってからでは「責任性」の評価になってしまいます。

まあ、理想的、教科書的にはこうなんでしょうが、実際はドロドロの人間関係の中で、理想的な行動はできないものです・・・。

例えば、ある問題を解決するため、当該部署が一丸となって行動しなければならない状況下で、まったくそのことを意に介さないメンバーがいるとします。「彼」はまったくピントが外れていて、能力もたいしてなく、厄介な仕事、目立たない仕事は放りっぱなし。でも、上司には「いい格好をしたい」ので立ち居振る舞いはうまい。しかし、同僚や部下は全部見抜いている。

こうした状況で、「協調性」のある行動をするには、上司に言われなくても、能力の低い「彼」の仕事をフォローまたは代替して部署の問題解決に向けて行動することが要求されます。

しかし、現実はどうか。当該部署で「彼」は完全に浮いています。「彼」を助けることで遂行された仕事は「彼」の成果物です。(こういう人に限って助けてもらって感謝せず、ただラッキーと思っている。さらに自分の能力の賜物と思っていることもある。あるいは、「彼」はもっとやりやすい簡単な仕事だけやって平然としている。)

助けたほうから見ると、「なんか納得いかない」、「損した感じ」がする。それなりに負担を強いて助けたのに、そうした経緯がわかっているのは当人たちだけで、その経緯を上司に言うのも抵抗がある。「彼」は満足な仕事もできていないのに給料はそのままで、降格もない。助けた方の給料も当然そのまま。としたら、たいして働いてもいないのにそこそこの給与をもらうなんて不公平だ、許せない。「彼」を助けることは「損」だ。

こうして、頭では理解できている「協調性」は感情との葛藤の末、実行できない状態が続くのです。「そんな小さな了見でどうする。もっと大きな人間になれ」そうありたいのですが、こうした状況を乗り越えて行動できる人は極めて稀では・・・。

会社としてはそんな稀な人を求めるのではなく、マジョリティつまり多数派を対象に考えなければなりません。どうすればいいでしょうか。

ひとつは、「彼」が助けてもらったことを感謝し、自分のいたらなさを自覚すること。しかし、そんなことができればそもそもこうはならない。

もうひとつは、上司がしっかり評価して、「彼」を指導する、降格する、配置転換する、評価を下げるなどが考えられます。「損」した感情が芽生えてしまうと大部分の人が行動しなくなります。「損」を埋め合わせるようにバランスをとることが大切。絶対的な公平は無理ですが、それに向けて努力する姿勢は不公平感を和らげる一助になるでしょう。

協調性のある行動は強制して継続できるものではありません。協調性のある行動ができる環境を作ることが会社に課せられた義務・・・と考えます。

2011年5月 8日 (日)

自己資本比率が高くても資金ショート

「自己資本比率が高い」ということは、企業財務において非常に大切なことです。資産の調達を自前でやっている部分が多くなるため、「安定している」と一般的に評価されるからです。したがって、対外的、特に金融機関からは高い評価を受けることになります。

しかし、「必ずしもそうではない場合もあるのでは?」と思ったケースがありました。以下に示すのはそれを要約したものです。1_3 

この2社は同業種で、資産規模はB社がA社の2倍。売上、利益率はほぼ同じ。流動比率、当座比率、自己資本比率を算定するとA社の比率は一般的にいって優良なものです。当然、対外的には財務評価はB社より高いと判断されるでしょう。

ところが、もし売上が30%ダウンしたらどうなるかという仮定の下に算定してみると、

2_2

A社は資金ショート(現金がマイナス)になってしまいます。ところが、B社は各比率が悪くなるものの資金はプラスです。

売上ダウン後の損益計算書と貸借対照表に少し解説を加えますと、30%の売上ダウンによってA社の損失が-25、B社の損失が-31で、これは貸借対照表の自己資本を下げます。また、売上ダウンは、各社の売掛金、流動負債(主に買掛債務)のボリュームを同比率並に下げます。

なぜ財務比率が優良だったA社が資金ショートで財務比率の悪かったB社が資金ショートにならないかというと、B社は資金調達において、流動負債から非常に多額の現金を調達してることが大きな理由です。A社は翌月回収、翌月支払で、B社は翌月回収、4ヶ月後支払。それで利益率が同じとなれば、資金調達力はB社に軍配が上がるわけです。したがって、損益分岐点を大幅に下回っても、さらに事業を継続することが可能となります。

だから、B社が絶対避けなければならないことは仕入先からの支払条件の変更要請です。多少の原価高になっても支払サイトを短くすることは避けなければなりません。「安定的な資金調達」が事業継続には欠かせないのです。

こうしてみると、静態的な財務指標が良好であってもキャッシュがどのように変化するかといった動態的な財務分析をしてみると見解がまったく反対になることもあるということがわかります。財務分析の目的は第一義的には企業の健康診断です。人にたとえると「死なないように」、「病気にならないように」が目的です。企業なら「倒産するかどうか」、「安定しているか」を判断したいということです。としたら、静態的財務指標をいくら集めても、それは過去の分析であり、動態的な分析も試みることが財務分析の本来の目的を果たすと考えられます。

※B社のように流動負債からの調達は、商慣習として「4ヶ月後支払」が根付いているなら当面は安定的といえるでしょう。しかし、超長期では安定的といえるかどうかは疑問です。昨今のデフレ環境下では、支払の遅延は仕入先の財務体質を弱化させてしまうからです。(サプライチェーンにおいて「自分さえ良ければ」は成り立ちません。供給元をなくしてしまっては事業の継続は不可能です。)

2011年2月21日 (月)

カテゴリー(範疇)とディメンション(次元)

事物を分類するのに2つの方法があるといわれています。カテゴリー(範疇)とディメンション(次元)です。カテゴリーは両者が不連続的であり、区別できる場合です。例えば、「魚」と「鳥」は明らかにカテゴリーが違います。「魚」がどんなに努力しても「鳥」にはなれません。ディメンションは両者が連続していて、程度が異なるので区別できる場合です。例えば、出世魚の「ハマチ」は大きくなって「ワラサ」→「ブリ」になりますが、こういう場合はディメンションによる区別でしょう。

人を冗談で侮辱するときに「君とは次元が違う」と言ったりするのは、ディメンションによる区別なので、言われた方は「連続しているのだから、努力すればいずれ同次元になる」と解釈できます。決して、「不可能」を表明しているのではないのです。

しかし、「君とはカテゴリーが違う」と言われたら、これは問題です。不連続だから接点はないということになります。同じ人間だから生物学的には絶対に同じカテゴリーなのですが、価値観や精神的な面からすると、「カテゴリーが違う」という区別も成り立つような気がします。(証明できませんので、自分の経験則です。)

もちろん、ビジネスや組織にはいろんな価値観があっていいのですが、根っこにある「価値観」(パソコンのOSのようなもの、「約束は守る」、「嘘はつかない」など)の価値観が違っていると、ビジネスも組織も成り立たないでしょう。

しかし、そうはいってもビジネス社会や組織にはいろんな人がいて、後々「カテゴリーの違う」ことが判明することもあります。そうした人は元々自分とは不連続なのだから、納得させるのではなく、巧みに避けてさっさと前進したほうが得策と思うのですが、どうでしょうか。

ビジネスの立ち上げ時や組織の初期では、価値観の範囲をもっと広げて「カテゴリーが違うのかディメンションが違うのか」を見極めるべきでしょう。カテゴリーの違う人にいくら教育しても効果は期待できないし、常に期待はずれになるからです。

昔、ある会社の社員入社資格に「正直な人」と記載されており、「冗談ぽいな」と思ったことがありましたが、今は非常に納得できます。

«範囲給と降格